杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「日本人は地震と付き合っていくしかない」とか何とか、そりゃ耐震強度の高い建物を建てまくってあわよくばそこに移住その他してもらうしかないわな?例えば私が先に述べた事は、そういう観念論ではなくこういう具体的な事もしくは問題の解決策である。根性論の様な事は言っても無駄と私は考えるので。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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それについて、英語のpoliticiamの事を考えれば、意味も分かるだろう。別に政治家は「礼儀正しい人」ではない。政治家というのは物事の道理を分かった人の事である。「政界に人無し」も単なる俗説である。情け容赦無い、情の無い人ならば、大勢居るかもしれないが。あまりナメないことである。
杉浦真平
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日本の場合、食事の際には「いただきます」「ごちそうさま」といった挨拶をするが、礼儀作法というのはそういった観点から成り立っていると考えることも出来る。だから礼儀というのは大切なのである。別に、「礼儀正しい」から、ではない。英語のpoliteを「礼儀正しい」と訳すのは明らかに異議がある。
杉浦真平
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「弱肉強食」というのはそういう意味。弱は肉で、強は食。別に、強い者が弱い者を食うから、ではない。「食うか食われるか」も同じこと。食う側にとって最も合理的なやり方は、食われる側に食われている自覚を与えないこと。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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かつて米国のブリンケン国務長官が仰っていたが、「(アフガンの人々に対して)戦い方を20年来に渡って教えたのに、(ダメだった)」という事で、そうやって見捨てられた人々は奴隷の様でも相手にされず、家畜扱いされて屠られる。人々は「食う」という事をあまり理解しない。死を与えられる方がマシ。
杉浦真平
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万人にとって(都合の)良い制度など存在しない。自殺者で鑑みれば理解出来る通り、死を望む者も居るであろうし、中には人類が死滅する事を望む者も居るだろう。地球という惑星が消滅することを望む者も居るかもしれない。そもそも、万人にとって(都合の)良い自己など存在しないのである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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挑発云々に関して。いや、だから、私が私の敵方を挑発しているわけではなくて、私の敵方が私に挑発されてるわけで。敵は攻撃して殺すだけ。当たり前でしょ?如何に敵にダメージを入れるかって事でしかないから。何故ここで私がこれを書くか?その方が敵にダメージが入ると思うから。
杉浦真平
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「人工地震」とか馬鹿な陰謀論を唱える人間が未だに居るよね。逆に「身バレ」がどうこうとかそういう方面で馬鹿な人間も未だに居る(そんなものは、基本的に、ね。分かるでしょ?)。どちらにしろ、岸田首相も今回の地震について仰っておられる通り、風説の流布のものの類は控えた方が良いでしょう。
杉浦真平
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礼儀正しさというのは日本人における美徳かもしれない。理知的に見える人間も日本人には多い。しかし、概して、日本人には頭は良いが馬鹿であるという人間が多い。生命体としての知能は高いが生物として愚かである、という言い方も出来るかも。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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技術なんて使う為にあるので、例えば先に述べた文章云々というのであれば人工知能に文章書かせてそれをいくらでも好きな様に利用すれば良いでしょう。その現行での法令違反は避けた方が良いかもしれませんがね。私は、文章については、好きで自分でコツコツ書いてますがね。まあ趣味みたいなもんです。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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イノベーションというのは、当該の技術が社会的に流布され当該社会に根付いてからはじめてそれが為されたと云われる。単に新規な技術が開発されただけでは(段階では)イノベーションが為されたとは云わない。
杉浦真平
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著作権侵害等の問題に関しては、人工知能という機構そのものを社会的に排除するしかない。しかし、それについてのイノベーションが為され、もはやインフラとして人工知能が定着している現在、それはほぼ不可能。NewYork TImesも馬鹿な(内容の)提訴の仕方をするよね、とは考える。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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人工知能が書いた文章をそれであるという理由で問題視するヒトが居るけど、それは文章の内容如何に因るわけで、人工知能が書いたものであるかヒトが書いたものであるかは本質的な問題ではない。
杉浦真平
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「聞いたことも無い三流大学に云々」って、何か言い方としておかしい。そんなことを言い出したら、日本の大学の場合、日東駒専だって三流大学なわけで。確かに、学費を(として)投資しても無駄な学術機関はあるしそういう子供も居るだろうが、それは大学のレベルとは必ずしも因果関係は無い。
杉浦真平
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ところで、万博中止という事が言われているみたいだけど、大阪万博に使うお金を天災(地震)の被災者の人達の為に使った方が良いよね。これは、お金の出所もはっきりしているという事もありき、無論、別問題ではない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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私がこういう事を書くのは、勿論、騙す人間を物理的に排除して、騙される人間を(社会的に)減らす為。騙される人間が増えると、生きる為には騙す人間にならなければならなくなる場合が多分に自分に襲い掛かってくる。伝染病の如く。私は、悪事に加担するのも嫌だし、犯罪の加害者になるのも嫌なので。
杉浦真平
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事実事実って云うけど、それが事実であると思われていた事が全く事実ではなかったという事もあるわけで。少なくとも現代日本のメディアで垂れ流されている情報なんて信頼しないこと。自分の理性で判断するしかない。
杉浦真平
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それが、対象を最初から信用していないという事だ、というのは勿論ナンセンス。例えば私は基本的に他者を信用しているし、社会を形成する上で協力するところは協力する。そのことと、退路を確保しておくかどうかということとは、基本的に別問題。
杉浦真平
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信用する信用しないは別にいい。そんな判断は適当に頭の中で処理して為しておけば良い。ともかく、最初から(真摯に)コミットしない事。現代社会において身を守るにはそれしか無い。少なくとも現代日本の社会は、騙そうとする奴だらけ。分かるでしょ?
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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自分の声の無い人種について。連中は自分の声で言える場所が無いどころか、そもそも自分の声で言う気も無ければ自分の声自体が無い。だから連中は全然困ってない。騙されるとか騙されないとかいう以前にあんな連中相手にしてるとキリが無い。取り合わない事。取り合わない結果、どういう行動を取るか?
杉浦真平
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ダメな奴はダメなんだって、ということは無いが、ダメなものはダメなんだって。勿論、ここで言う「もの」というのは、あらゆる客体である。ちなみに、私は、具体の対義語が抽象であるとは考えていない。
杉浦真平
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自らの行動(の表象)を変えれば自らの本質が変わると思い込んでいる人間が居る様。ヒトの脳機能を始めとした、ヒトの本質がそう簡単に変わるか、馬鹿が。反社会的人間集団に拠る新興宗教の洗脳じみた社会的洗脳も見切れない様では、地獄行きだろう。
杉浦真平
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問題は、「教育を受ける義務」が「義務教育」にすり替わってしまっている事である。テキスト化が為された瞬間に、反社会性があらわれる。戦場のおぞましさを知っているものならば、生きる事を目的概化してはならないという事を知っているはずである。
杉浦真平
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10m
(少なくともここでは)、その内容にかかわらず、教育ということ自体に価値があるということである。これは、教育のテキスト化ではない。
杉浦真平
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ヒトは完全ではない。言葉で考えている者にとって、思考を言語化するなというのが正解だろう。それは教育によって培われる能力である。只、「教育されること」でも「教育すること」でもそれは為される。被教育によって為される自由の伸びしろは、は教育によって埋め合わされるべきだろう。
杉浦真平
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…ヨーゼフ・シュムペーターもそういった結論を語っていたが、政党としてのナチスで鑑みられた様なあの虚無主義が、全てを破滅へと導いた事は云うまでも無い。それが具有化もしくは具象化されていようが、事は同じである。人はそれを「反社会的」と呼ぶ。
杉浦真平
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…言語の世界に生きる事(で)の一義性が、そこでは是認されて(しまって)いる。それが故に、分裂した世界が、無根拠に肯定される。
杉浦真平
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(だから)、彼らは、死を思っていない分、怠惰に生きる。何時までも、自らの自己同一性の延長線上のものとして、ライフタイムが続くと思い込んでしまっているかの様である。「生か死か、それが問題だ。」ということでは、彼らには「問題が無い」。
杉浦真平
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ヒトが死を恐れるのは、単(ひとえ)に今あるものを当たり前だと思っているからだろう。生など、彼らにとっては、当たり前なのである。
杉浦真平
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迫り来る死の幻影から逃れるには、自身が未来完了形になるしか無かった。死は過去から迫って来るのである。否、過去自体が「死んでいる」のである。現在は死は恐ろしくない?「死んでいる」からであろう。「現在は死は恐ろしくない」。神は盲目をもって罰する。
杉浦真平
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ところで、私は、子供の時分、夜の闇を恐れていた。迫り来る死の恐怖を連想させたからである。現在は死は恐ろしくないが、当時は死が恐ろしかった。
杉浦真平
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実のところ、ヒトの中にはそういった意見の人々も居る。自由と責任から逃避したマシーンとでも呼ばれるべき人々である。ナチスは歴史上それについての教訓を残してくれた。「二度とやるな」と。
杉浦真平
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つまり、逆説的に、現代化された社会主義ではないところの旧態依然とした大文字での社会主義程反社会的なものは無い。もし、仮に、そうでなければ、人が生物であるヒトとして生きていかねばならない理由が無いだろう。そうでなければ全てを人工化してしまえば良い。
杉浦真平
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「(その)生まれかわり」の後の世界において、厭世を為すというのも、技術がここまで(社会的に)発展した当現代においては、表象的な形としては有るかもしれない。そうやって、全ては人工化されていく。そこで人々が私刑に走らずに済むのは、人々に社会を形成する意志があるからである。
杉浦真平
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遺伝の概念も無かった太古の昔、人々は生まれかわりによる「罪と罰」を信じていた。家畜も虫も、全て、前世の業を背負って(そうなって)いるものであると考えられていた。
杉浦真平
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だから、職場での性犯罪を女性は最もそれとして嫌うだろう。自衛官の五ノ井里奈さんが欧米で女性として評価されるのは、そういった理由からである。
杉浦真平
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つまり、女性は女性で、(その)差別の境界が「ヒトであるか否か」というところを気にする。だから、彼女らは、性暴力について、自分(達)をヒトとして見做していないものとして嫌悪するもしくは呪うのである。
杉浦真平
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女性が自分(達)に対する性犯罪に目くじらを立てるのは、つまるところ、自分達がヒトとして見られていないという被差別感に因るものだろう。勿論、この場合、差別しているのは男性である。我々男性は、確かに、女性について、ヒトながらも自分達とは(社会学的に)違う生物であると見做したがる。
杉浦真平
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大量生産大量消費という行いにそれを転嫁させる者も居るが、必ずしもそうではない。女性(達)が、ヒトとしての性欲を持て余しながら、それを嫌うのは、そういう事に因る。墓は集団への帰属の表象である。これには例外が無い。他者を否認するか是認するかによって、そこは地獄にも天国にもなるだろう。
杉浦真平
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健康第一。ヒトは所詮、肉体でしか生きられない。(その意味で)、おびただしい死が迫り来る様な社会は、非常に不健全である。人はそれを、破滅と呼ぶ。
杉浦真平
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女性における出産は、マゾヒスティックな欲望の一種に基づいているだろう。「ヒトは食われて進化した」というのは、あながち間違いではない。
杉浦真平
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ところで、人は国家ではない。システミックレイシズムに加担する非国民は国家の主権を無視している。それを平和の毒と呼ぶ輩も同じである。差別される側の者にとっては差別する側の者など関係が無い。男が女を犯す無根拠な理由など何処にも無い。逆も然りである。双方に同意の無い性行為は犯罪である。
杉浦真平
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「生か死か、それが問題だ。」というのは、人類の存続にまつわる事である。これは、一義的に、絶滅か破滅かという事ではない。生あるところ必ず死もある。
杉浦真平
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ウラジーミル・レーニンの教えは、無論、各国のインテリジェンスによって実践されているという事である。その中でも、好い立ち位置にあるのが、日本とドイツという事でもあるだろう。
杉浦真平
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Now
「少なからず」とは、そこは(A=Bが成立しない限り)動態的であり、戦争状態にあるという事である。イスラエルのネタニヤフ首相が仰る事には、日本とドイツは国家としてこれの解消に、手段はともあれ、成功したらしい。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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ナチスもそうだったが、テキスト化された人間社会(の縮図)がそこでは作られて(示されて)いる。しかし、彼らは、それであって、生きる事を目的概化している訳ではない。A=Bが成立せぬ限りにおいて、客体Aと客体Bは異なっている。少なからず、そういうものは必要なのかもしれない。
杉浦真平
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金正恩氏は、それでいて、涙を流しながら「母達と力合わせる」と仰っていたが、それも指導者層の人々の事だろう。結果論として云うのならば、それはそれで良いのかもしれない。理由は説明するまでもない。
杉浦真平
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少し前、北朝鮮の金正恩氏や金与正氏が、豪遊する様をひけらかしたりChristian Diorのブランドのものを持参したりする旨が示されていた。その事自体の如何はともかく、北朝鮮の人民はそれで鑑みて知ったのであろう。彼らは子供を作らないという選択を取る様だ。
杉浦真平
つまり、理由後付けもしくは動機付けを為される事自体で安心感を得る人々である。ここで、私は、「安心感」という言葉を選んで使用したが、「それ」は所詮そんな程度のものであるということである。時は止まらない。
つまり、私は、精神医学は信用しており、それにまつわって当該精神科医を全般的に信用しているかと問われれば、是と答える事は難しいが、それはクランケをクランケとしてしか取り扱わない精神科医とて同じであろう。…機会平等性という事において、目的概化されたそれを必要とする人々が居る様である。
(その意味では)、私は精神科医を精神科医として信用している。彼ら精神科医が、患者Shinpei Sugiura(杉浦真平)を信用していないのである。…精神科医は、精神医学を取り扱うのが旨である。勿論、私が精神科医を信用しているというのは、その限りにおいて、である。