杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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People of good things do intend to collapse themselves, and this way of thinking is degreed. "On purpose" this should not be performed.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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This perspective is an observation of speculation on which with artificial intelligence pieces of evidence of something do not go. There is no perfect speculation, therefore singularized it may exist.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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It depends on mercenaries. The time has come. Some demons conquered me, but they were contributors to many people. That's a good thing. I am associated with them.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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Moving quickly is the thing of investment. Are I OK? ...I am good at composing, but it takes time. Composition? It is OK to continue to do it. What is a thing?
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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イスラエルとハマスが停戦の妥結の交渉に向けて動くとのニュース報道あり。おそらく条件についてもそうだろうが、妥行時期について見解に相違があるとのこと。流石ですな。そもそもこの二者における今回の戦闘に火を点けたのは何処の誰(ら)だろうね?
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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イスラエルの外相が「ハマスとの停戦の呼び掛けのいかなる声もテロリズムへの褒美であり自分達はそれに同意しない」と表明。流石ですな。ナチスが残した教訓も(で)鑑みずにナチスを未だに標榜するゴミ共は屠殺刑に処されるでしょう。ちなみにハマスの戦闘員の人々は「偉大なる戦いの日」と明言した。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「グレる」ということを標榜している馬鹿な著名人が居ましたけど(あろうことか文人です)、日本人の場合、非行に走るということに関して、物事の内容で鑑みて反社会的勢力に対して攻撃を行うというのではなく、「グレる」か「グレない」かで「走って」しまう。言葉の世界から抜け出せないんだろうね。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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医師のモラルは大丈夫かって、モラルの低い医師なんかいくらでも居ますよ。彼ら自身も、不安と恐怖に駆られて特定の対象を潰そうとしてくる場合はいくらでもある。「精神医学」取り扱ってるのにね。暴力団員みたいなものに脅されて悪事に加担している場合もある。まあ、彼らも生きている人間ですから。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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ドイツ語のseinの問題が考えられる場合、日本語の文章の「~です。」をbe動詞であるとするのは間違っているでしょう。
A「貴方は存在しない。」
B「私は存在する。」
と(か)いった場合、どうなるのでしょう。
Bさんは、"Wie geht es ihnen?"と云って(は)いますが…。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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A: "Telling a lie, he believes in himself telling a lie."
B: "Which lie?"
とかね。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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それが単なる欲求というだけならまだしも、他者への社会的価値承認要請を行う者となるとうっとおしがられ社会的に排斥されるだろう。それは、他者に対して自らの社会的判断を押し付ける者であったり、他者に対して物理的暴力を振るう者であったりするだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「お前の価値承認など求めてはいない」という相手が社会には存することをヒトは知るべきだろう。その他者の価値を認めることも無いし、その他者に自分の価値を認められる必要も無い、という他者が社会には存するということをヒトビトは知っているはずである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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群れるのが嫌いな者は、群れることについて考えてなどいないだろう。「ここは自分が居るべき組織ではない」とかホザいているのは、群れるのが好きで好きで仕方の無い単なる「かまってちゃん」であろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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男性は外へ出て働き、女性は家庭を守る、ということがそもそも是認されないことになる。男性原理や女性原理といったことが、そもそもの矛盾なのである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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残念ながら、それは、私にとって少々辛いところの、虚無主義的な欲動でしかないが、(それは個人主義的であり)、セックスが最上のコミュニケーションと云われる由縁を考えると、そういうことだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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かつて、ノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹博士は、「貴方は何故生まれたのか?」と問われ、「自分の両親が性交したからだ」と答えたそうだが、そういったことを考えると、ヒトは社会から生物として生まれたのではないか?
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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欧米人の言語使用性の高さは、虚無主義的な社会構造との闘争に基づくものであり、毒をもって毒を制すということにおいて、それは、例えば、音楽的ですらある。そこへ来て、表現の無い調べは、生物(学)的である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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欧米由来の男性原理的なものと云われるその主義は、生殖の本能にまつわるご都合主義でしかなかった。仮にそれが近似的なものであれ、社会が言語であるという場合、それは動態的であり、その「持ち込み」「持ち込ませ」が、自体的に社会(構造)的である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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性格という定義の精神医学上の位置付けについては私は知らぬが、私は彼らの素行を性格などという一連の定義に比準させる気は無い。彼らは、セクシストとしての(その)社会性を、特定のカテゴリー内に持ち込んだ、という事に過ぎない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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自身がヒトであること以前に自身の性自認が第一義として来る、「セクシスト」という、彼ら彼女らに対する呼称は決してセックスの行為にかまける(だけの)生き物という意味合いを持たせているのではない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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恋愛というものに興味のある人口の比率は、男性より女性の方が、大きいだろうね。そもそも男性と女性では「恋愛」というものの捉え方が根本的に違うのでは?と考えさせるが。ヒトのオスとヒトのメスではその生理が本質的に異なるということ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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他者から褒められたという事実に関してその内容の吟味を無視して「喜ばなければいけない」という日本人特有の破滅思考に関して私は空いた口が塞がらない。挙句の果てに「これを行えば貴方の幸福度が上がります」。余計なお世話。うっとおしい。そんな事は自分が最もよく理解しているし自分で決めるわ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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老化という事に関して、その(肉体の)老化具合を気にしているのがまさに老化だと思われるのだが…。挙句の果てに、「ヒトはどう老いるのか」。これは、老化について具体的に考えているのでもなく抽象的に考えているのでもなく、只単に老化というものを概念的に捉えている事の顛末かと考えられるが。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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お金の価値だって、同じ一万円でも、ヒトによって違いますよ?同じヒトでも時と場合によって違います。だから、経済学って決して万能ではないと私は鑑みるのですよね…。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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しかし、フローズンヨーグルトがアイスクリームの代替財となるかどうかというと言い争いになるでしょう。焼酎と日本酒の味たるものがガキの頃は分からなくて片方が片方の代替財として成立したが、おっさんになった現在ではそれが分かるようになってそうではなくなった、という方もいらっしゃるかも。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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…ここなんですよね、経済学があいまいさに基づく所以。経済学を教える先生たちには、大抵「AってBだよね!?」と自らの主張の下議論を推し進めてしまうヒトが多いような。例えば、白内障の手術という医療サービスが緑内障の手術という医療サービスの代替財として成立するということはあり得ません。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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私は、例えばフローズンヨーグルトがアイスクリームの代替財としては成立しないという価値観の持ち主なので、もしぶどうジュースがワインの代替財(この場合)として成立しないという主張をする方がいらっしゃればごめんなさい。どっちも飲むしっていう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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まり、現代の様にそれらの技術が比較的容易なものとして普及しているパラダイムにおいては、賢い人は高価なぶどう酒より安くて美味いぶどうジュースを飲用する、と。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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あの時代、腐敗防止や冷蔵などという技術どころか発想自体が無かったっぽいですから、ヒトは発酵という手段に訴えたのではないかと。これはイケるぞ(飲めるぞ)、と。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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果汁100%のぶどうジュースを飲んでうめぇなあと思うのですが、太古の時代、ぶどうの美味みを何とかヒトが摂取可能な形でという見識からワインの製造や貯蔵の方法が確立されたのではないかと。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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ところで、教皇不可謬説というのは、人を抽象化したものである。対して、徳川家康の立ち位置というのは、抽象としての人を具体化したものである。私は、抽象と具体がそれぞれの対義語であるとは考えていない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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Addiction to persons is to be greed itself. Appetite, worldly desires, sexual desire... (The) Structures by which persons perceive themselves as them are not established with so-called intellectual curiosity in modern society. It is meant to be the end of what degeneration is.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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しかし、例えば私の場合、止揚された「それ」と共に逆行してしまった。「それ」が私の社会学的な自己同一性なのである。記憶の世界で生きているが故に、世界は分裂している。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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生物学的な自己同一性に基づいてサルとヒトとの区別が付けられるのは、社会学的な自己同一性によるということである。破壊されている状態を破壊しない様に膠着している状態から脱け出すには、社会学的な自己同一性を破壊するしかない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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これに人類普遍の基準はおそらく無い。例えば、近年優れた論文が数多く輩出されるのは多くは中国からであるという意見があるが、これは「中国は」「そう」であるということであって、人類一般において適応され得るものではないだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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それを失うことは、医学的には統合失調などと言われるかもしれないが、ここで私が述べているのはもう少し生物学的な見地によるものである。これを生物学的な自己同一性ではなく社会学的な自己同一性に求めているのが、特に現代化された社会主義を標榜する現代の中国の様な社会主義国家圏の人々である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「それ」をヒトにまつわる破壊衝動や男女の性欲に求めたり存在意思などという表現であらわす人も居るが、私はそれを(メディテーションめいた)生物学的な自己同一性の保持に求める。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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行動や言動やその他表象としての認識形態など、様々なものに至って、人々は「それ」が破壊されぬ様に時刻を経過させる。そうでなければ、自分が何を行っているか理解しないまま理性が保たれることになる。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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独裁者と支配者の違い。前者は「統治すれども君臨せず」、後者は「君臨すれども統治せず」。前者はミクロの世界に生きており、後者はマクロの世界に生きている。教皇不可謬説などと云うのは後者(の概念)が生きているところのものだろう。カノッサの屈辱はどちらが勝者たるかを如実にあらわしている。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「トナラー」の心理について。駐車場でスペースが大幅に空いているのにワザワザ停車車両の隣に自車を停めるヒトは居ても電車で席が大幅に空いているのにワザワザ他人の隣に密接して座るヒトはまず居ないだろう。「物理」の世界に生きている知能というか物事の認知形態に障害を持ったヒトは居るらしい。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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故安倍晋三氏の演説におけるヤジ排除でそれを「社会主義国家の様な」と銘打つのは間違っているだろう。そもそもそれがヤジと見做されるかどうかは、その(ヤジであるところの)発言の内容に因る訳であって、排除される者や排除する者に根概的な問題がある訳ではない。何が為されているのかということ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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死刑と処刑って違うよね。東条英機氏やポル・ポトなんかの場合は死刑だろうけど、例えばジャンヌ・ダルクの場合はあれは処刑だろう。アドルフ・ヒトラーやハインリヒ・ヒムラーは自殺。ヨシフ・スターリンは普通に死んだ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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PCに関して、デスクトップが使える環境にあるんだったら、いくらスペックが高くてもラップトップを使うよりもデスクトップを使った方が良いと思いますよ。例えば、マザーボードの規格の云々とか、(たぶん)、ステータスに影響する、そういったものもあるしね…。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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私がこういう一見してはおぞましい事を言うのは、例えば経済学者というのはそういう人達ですよ、ということ。彼らは、「新規」だとか「斬新」だとかいった概念の下、そういう事を考えている人の集まり。危ないっちゃ危ないよ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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例えば世論調査の「何割の人間がどうこう」とは一体何なのか?現実に全ての人間がシムシティのゲームのシム人の様に同じ単位ではなく。ミクロ経済学も近くあるが、馬鹿げたものの見方は止めて頂きたい。その内「女性の子宮市場」とか「赤子の中絶市場」とかロクでもない事を言い出す輩が出てくるかも。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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Intelさんが「Intel ExtraSS」というフレーム生成技術を開発中…だそうです。入力されたサンプルの境界を超越した情報を使う、そうです。「補完」に対して「外挿」という事での違いだとか。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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つまり、それの証明を司るヒトもしくはヒトの集団が明確であり且つ彼(彼ら)がそれに応答した場合のみ、彼(彼ら)との関係が成立します。彼らは、気付きの能力に優れているかもしれないが、あまりに主体性が無いだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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只、その様な、世界に対してあまりにも肯定的な人々におけるそれの証明を取る為には、当人がそれをそれであると規定した情報の当該性が外部的に証明されねばならない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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私は医師ではないので、以下の説明がそのまま「傍観者効果」に妥当するかどうかは分かからないが、つまるところ、「疑った結果を信じる」ことを「疑う」ことだと思い込んでいる人々がヒトの社会には一定数居るという事だろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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その低いリスクプレミアムで(において)問題を解決しようとするので、「それを行わないか否か」で自らの取る行動を選択しているということも言える。つまり、悪く言えば自虐的もしくは自慰的、良く言えば「自分自身であらねばならない」が私の自己同一性となっている、ということも言えるだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「傍観者効果」に屈しないヒトというのは、詐欺などで騙される可能性が高いだろう。私は、他者に騙される事は明らかな自らにおける損益と認知しているので、詐欺等に引っ掛かる人が少ない時分、まずその類のものには騙されない。経済学におけるリスクプレミアムは非常に低い。
杉浦真平
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私は「傍観者効果」のカタマリの様な人間である。私はその場合場合に応じてだが「それを行うか否か」ではなく「それを行わないか否か」で自らの取る行動を選択している。つまり、「傍観者効果」の絶対性は私における行動原理(の一つ)となっている。
杉浦真平
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…挙句の果てに彼らは「データドリヴン」とか言い出す。そんなものは当たり前である。そのようなものが彼らの当該だの理想だの殉教だのというよりは、そこにあるのは快楽のための快楽・暴力のための暴力・秩序のための秩序・統率のための統率・管理のための管理等である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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自己主張の為の自己主張はナンセンス。彼らは、「マスクを着用することは、COVID-19への自己感染を含めたその社会的蔓延への対抗策となるということが事実に基づいておらず、根拠が無い」と主張するような連中だということもあり敬遠されてしまう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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NHK大河を歴史学者の先生が評価って、特に日本史の場合作られてる時代期にも因ると思うんだよね。戦国時代をNHK大河でやると甘っちょろいことになっても江戸期だったらばそれで適合みたいなことにもなるだろう。まあ、私も当時の社会に生きていたわけでもないし、時代考証云々も限界があるだろうけど。
杉浦真平
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イギリス人は皮肉も理解するだろう、階級社会だからである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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おそらく日本古来から続く本音と建前のフェノメノロジーが、共感や共苦といった、それこそ文化科学的な側面から考えるのであれば味噌や納豆といった食材に在るように(食べれば分かる)、極めて概念として当該的なtextに社会的に支配されながら、緩やかなグラデーションを描く。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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アメリカ人は"color of skin"を専ら題材として取り上げる。日本人は、少なくとも現代の日本社会に生きる者達は、「顔」であろう。これには様々な意味があり、白人さんにも黒人さんにも美形のヒトも居りそうでないヒトも居るが、黄色人種であり且つ日本人である我々において、造形は二義的である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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私はメーガン妃のファンだが、どう見ても彼女は美人である。しかし、その叩かれ方を(で)鑑みると、そんなにヒトの肌の色が気になるかね?…人種差別ということにおいて、アメリカ人と日本人では少し感覚が違うようである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「単元的」と「目的概化」とは違う。自分の何たるかを他人に押さえさせるなというのは人間関係の基本だろうが、明確に味方であると認知できる相手に対してはそれも有りだろう。「味方」とは、力関係の上下にまつわるところのもののそれである。「力」とは、「目的概化」を排除する能力のことである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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言葉の世界に生きている人々が、文学である世界に生きているか文学でない世界に生きているかというのは、問いとして成り立たないだろう。「文学」だとか「問い」だとかいったものは、全て、過去完了形のメタファーである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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社会が言語であるという場合、はじめに言葉があった、ということだろう。「言葉」という表現が採られる場合、その多言語的多義性は「ただそれだけで」詩文学的である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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確かに「郷に入っては郷に従え」ということはある。只、今ここで話している事とそれとは別問題。…私は、「予め」世界を準備している訳では決して無い。もちろん、それは、「どれが現実なのか」という形容詞の世界ではなく、「どう現実なのか」という副詞の世界だろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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他者から与えられた指標で(少なくとも短期的に)貴方が何か変わるの?っていうね。ヒトの寿命の半分程度、数十年単位の長期ということではそういう事もあるかもしれないが。「A」というカテゴライゼーションによって「当該の本人が」変逸するのかということ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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物理的暴力でもない限り、物事に関して受けるダメージを0か1かの事象に区分けしておけば、「『1』の事象を否定する」という行動に終始することになる。つまり他者のその行動を否定するのではなく自分のその行動を否定する。「それ」を行動原理として生きていれば基本的に物事上手くいくと考えられる。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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「失敗は成功のもと」と云うけど自分の失敗を認められないヒトって居るよね。どういった経緯があれそれでそういったヒトがドツボに嵌っていくのって、非常にブザマ、見苦しい。風景として不愉快。何よりそれだと失敗している状態からそのヒトは抜け出すことが出来ない。素直に認めちゃえば良いのにね。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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一般的に医薬品には正作用と副作用があると言われる。実際、「当該薬物を服薬するとどういった効能効果があるか」という事が問題。それと同じで、ヒトという生物について(で)鑑みる場合、オスとメスの性差その他云々よりも、ヒトという生物がどういうものであるかという視点で考える事が重要。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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Now
男性のヌードモデルが(殆ど)居ない事について、別にヒトのオスの裸体なんて殆どのヒトが(その様には)見たくないからでしょ。一言で言えば需要が無い。別に居てもいいと思うよ?只、えげつない言い方だけど、女性のヌードモデルの様にその様には観察対象にならない。それがヒトの本能というか生理。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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仮に、ヒトから老化が奪われると、その場合ヒトは種の保存について如何なる選択を取るか?…ドイツ語の"Der Mensch ist, was er ißt."という格言(諺?)がありますが…。「『理解』というものの解釈」(解釈可能性)ではなく、「『解釈』というものの理解」(説明可能性)の問題も出てくるでしょう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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一部で超知性だとかオルガノイド云々だとか云われているみたいですが、ヒトがヒトと認識認知されるacquaintanceの問題が立ち上がるでしょう。その意味で、「科学的根拠」は必要でしょう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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ところで、IntelのCoreUltra搭載PCがDELLから出ましたね。私は、以前グラフィックスがCPU処理のAMDのRyzen搭載のPCを使用していて、こちらのファンだったんですけど、ざっと解説を読む限りでは、Intelさんも凄いですね~とか思わされます。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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三島由紀夫氏が「楯の会」という唯名でサークルを組んでいたのは、(「見せている」のと「見られる」のがもちろん違うということありき)、(「本物になると考えるだけになる哲学者のその思考」を)「蓋然性」という言葉では表現することが出来なかったからではないか。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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過去、哲学者達が視覚というものをどう扱ってきたかという問題があるらしい。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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1s
差し迫ったindifferenceの具象化が為されるには、例えば、経済学におけるindifference curve(無差別曲線)は、数学的手法によっては事は為され得ないという事において、事を単純化し過ぎているということであり、それは物事における蓋然性を滅却した数学的思考の副産物である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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4m
読む・書くと聴く・話すがそれぞれセットというのは、少なからずインプットにおいて意味内容をサッと捉えるのではなくワザワザ考える(考えないと分からない)人間やアウトプットにおいて意味も分からず出してしまうという人間、つまり文章とその意味が完全に乖離しているという人間を連想させるが…。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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5m
それでこそ、当該言語における、例えば英語なら英語でのものの考え方というものも身に付くことになるだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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11m
インプットは意味内容を捉えなければならないし、アウトプットは音韻で運んでいく。意味が分からず英語を流し聞きしていたってあまり出来る様にはならないし、英語の表現だってアルファベットを一文字一文字分解せずにカタマリで覚えるでしょ?そういうことである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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14m
(少なくとも私にとっては)何でどう鑑みても読む・聴くと書く・話すがそれぞれセットだと思われ例えば英語は表音で日本語は表意だという通底認識に惑わされる事無く、読む・聴くは表意で書く・話すは表音だと考えた方が良いだろう。聴くが表意で書くが表音だというのは意外に思われるかもしれないが。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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18m
私もヨーロッパのとある国で漢字で自分の名前を書いたら"Artistic!"とか言われたが、日本の漢字Tシャツが外国人に絶賛されるとか、特に表音文字圏の人達にとって表意文字は絵面でしかない…と思いきや、一般的に、読む・書くと聴く・話すがそれぞれセットみたいにして語られるがそうでもない様である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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23m
さきほど外出。スーパーマーケットへ行ったら、珍しく黒人さんのママさん風の人が居た。ちょっとぶつかりそうになったので、思わず避けた。帰り道、アラブの民族の衣装を着た中東圏の女性(?)とすれ違った。こちらは、ちょっとぶつかりそうになって、避けてもらった。申し訳無い。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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Now
これは典型的な「自分ら底下げ敵底上げ」な攻撃であり(一見しては不謹慎だが)かなりスマートであり、きちんと当該の当該性が説明されているところのフィクションとノンフィクションの区別が付いている健常な例であるということである(だからこそネットでもそのように垂れ流されているということ)。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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10m
ネットが不謹慎ワードでどうこうとか、今に始まった事ではなく。何をいまさら、っていう「後発性の『非』優位」を捏造する事で、情報の受け手に対するネガティブキャンペーンを特定の連中が行ってるっていうね。バカにさせるというやり方。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
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Now
日本が中国に引けを取らなかったのは「眠れる獅子」の化けの皮が剥がれた少し後だけでやはり大国中国に日本は勝てないのだろう。日本の皇室の人達はそういった概念の下存しておられる人々で、歴史上我々(という言い方もおかしいが)日本人は攻められっ放しだった。神風も同じでこの国はそう出来てる。