杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
3s
今ずっとCDで黒夢の曲聴いてた。ウイスキーを飲みたかったが、手元にお酒が無い。ていうかね、俺ね、黒夢の曲聴いてる時が一番幸せに感じるんだよね。人によって、甘ったるいコーヒー牛乳飲んでる時が一番幸せ、とか、そういう人も居るだろうけど、やっぱりロック聴いてる時が一番幸せなんだよね俺は。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
フィギュアスケーターやファッションモデル、アイドルや俳優(女優)なども、同じ理由で肯定されるべきだろう。彼らは「見せる」商売ではなく「見られる」商売である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
そういうことで(は)、フルヌードだろうがポルノ女優の如くコアヌードだろうが、イスラム圏の女性の様に目付近以外の全ての肌を隠すという格好だろうが、良いわけである。彼女らに社会的要請の自覚があるならば。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
前者の場合、彼女らは社会的要請を自覚している。後者の場合、彼女らはその自覚が無く、つまりそれは攻撃行動であり、先述の通りの「見てんじゃねえ」という意識が彼女らにおいては芽生えるだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
しかし、彼女らのその行為が否定される筋合いは無い。何故ならば、彼女らは、その様に「見られて」おり、(その様に)「見せている」わけではないからである。「見られる」のと「見せている」のは違う。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
例えば、日本の女子高生のあの凄いミニスカートの格好がある。あれは確かにヒトのオスの一個体としては辛い。というのは、勿論それを視界に入れ(られ)ると性的欲求を掻き立てられるから。だから、私は、そういう格好をした彼女らをなるべく見ない様に努力をしている。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
ヒトのメスは、ヒトのオスのそういった生理について、あまり理解が芳しくない。また、「見てんじゃねえ」と云わんばかりの女に対しては、「見せてんじゃねえ」と言いたくなる。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
女性の露出について。私は男性として女性に対する恒常的な性的アディクションを引き起こさせられるのは不快であるし、何よりこちらが性的犯罪の加害者扱いされるリスクが増す。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
5m
絵を描くという行為では、物事の精緻な意味内容を表現出来ないので、取り敢えず少なくともここでは絵画言語というやり方と文章による物事の説明とは区別を付けておく。形容表現の域を飛び出るものではなく申し訳無いが、というわけで、私の文章の書き方は絵を描くという行為よりも絵画鑑賞に近い。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
私はここで、障害者を犯罪の加害者や犯罪者だと言っているのでは勿論無い。先述の「生物(学)的な本能を無理して押さえることは出来ない」というのは、障害者が障害者の権利を放棄しながら、且つ障害者の権利を主張する(かのような)、その矛盾に対してである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
もし加害者において法の裁きなど必要無いというのであれば、即時殺す云々というそういう世界である。それは私刑の世界であり、法治国家においては認められない。犯罪の被害者は本当に気の毒である。だからこそ、加害者に対して法の裁きを、というのが法治国家の理念だろう。「法は社会の反映である」。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
例えば、何故障害者が障害者なのか?該当の障害者の人が持つ該当社会における障害者の認定は、その人の権利であるということが出来る。例えば、それが如何に凄惨な事件であろうとも、犯罪の加害者を裁くのは司法であり、そのシステムに則って該当の人々が判断を下す。法は犯罪の加害者の為にある。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
私は彼らについて、生物(学)的な本能を無理して押さえることは出来ない。例えば、障害者が障害者であることは、障害者の権利であると同時に(社会的)義務なのである。その者がその者であることは、その者の(社会的)権利であると同時に義務である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
あの義務の伴わぬ権利のみをひたすら主張する者共。私はここで、具体的な法制度の云々について言及しているのではない。汎社会的に、義務の伴わぬ権利や責任の伴わぬ自由などといったものは存在しない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
自己同一性ということにおいて、生物学的なそれと社会学的なそれは区別されねばならない。「名は体をあらわす」というのは生物学的な自己同一性に基づくものではなく社会学的な自己同一性に基づくものである。「存在の機」という場合、それは前者である。「存在の価」という場合、それは後者である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
しかし、もし、人工知能の存在意義的にその機能面だけが局所的に取り上げられ、人工知能がヒトの延長線上に在るものであるに過ぎないというのであれば、「ヒトの身姿に真似てつくられた」人工知能が睡眠を必要とする必然性が無いだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
人工知能が自身がヒトではないことを自覚している(機能を持っている)のなら、その睡眠中に夢を見るということも、存在の存位的に合理化を図るということでもし人工知能がそこまで出来た機構足り得るというのならば、あり(得るということ)だと考えられる(が、どうなのだろう)。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
人工知能に関する最新の研究では、人工知能も断続的にスリープ状態になることが自身の機能の革新的維持において(現行では)必要であるということが分かったそうである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
ところで、生物と無生物の境界はどのような形で有るのだろう、という疑問がここで出てくる。…得られたデータと対象のobject(自体)は違うので、知の能の「存在の機」は存在する(ということが言える)だろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
Now
生物学的な自己同一性とは、該当対象である生物が無生物でなく存在するにおいて在るものだろう。生物における繁殖能力に当該的に任された該当対象である生物における遺伝子の攪拌?それは違うだろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
2s
ここでは(生物学的な自己同一性から派生する)社会性と言っておくが、加害者は(自分(ら)の社会性の無さもしくはそれに対する否定は無視して)自分(ら)を無視や否定するのならということで相手である被害者の(生物学的な自己同一性から派生する)社会性を否定するという攻撃を行う。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1m
「もうそういうのいいから」というのは、キャンセルカルチャーの一であり、忌むべきものだろう。問題への対処として曖昧過ぎる。こういったものは、「それはうっとおしい」とか「迷惑です」とかきちんと断るべきものであって、そうでなければ問題の根本的な解決にならない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
3s
ヒトのオスの射精責任ということが問われるのならば、ヒトのメスの露出責任も問われるべきだろう。だから私はイスラム教徒の女性を尊敬しているし、女性にはきちんと服を着てもらいたいと考えている。ヒトのメスの生理が取り沙汰されるのならば、ヒトのオスの生理も医学生理学的に取り沙汰されるべき。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
3s
「ゼミ不足なのに担当を拒まれた」って、くだらない内容のゼミなんか開講してもらったら困るその他様々な理由が考えられるだろう。例えば単位が簡単に取れるからその他の因で学生に流れてもらっては困るという理由も考えられる。一義化が愚直であるという事に加え、安易な形式主義は馬鹿の産物だろう。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
2s
例えば「価値意識とは何か」という問いについて、この程度のものであれば辞書を引いて自分で調べろとしか言い様が無い。こんなものは、例えば「納豆とは何か」という問いと同じレベルのくだらなさが存するだけである。お前の糞小便の出具合に興味など無い、と言いたい。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
政治家は、東浩紀氏が指摘する様に、腐敗を防止する制度に意匠を凝らしても人的資本が腐敗していれば本末転倒である。哲学者は、多数存するかもしれないが、それぞれ代替材としての価値に乏しく、結局誰がなっても一緒という意味で、である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
58s
欧米の先進企業では哲学者の雇用が進んでいるそうである。批評家の東浩紀氏がこの度の自民党の「政治とカネ」問題について言及しているが、労働者としての政治家と企業内労働力としての哲学者には類似点があるだろう。というのも(おそらく理屈上の事だが)両方とも代替が効きにくい。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
対象を蓋然的に捉えること(の危険性)について警鐘を鳴らしているヒト達も居るが、私は彼らのように例えば母国語の学習能力を否定するということは無い。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
とある対象が想定されて、それが言語化されているかされていないかという事が問題となる。これは、その対象が言語化され得るかされ得ないかという事ではない。つまり、情報(として)のボリュームの問題ではない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
思考を言語化するなっていうのが正解。中には、「英文解釈において、背景の内容を知っているか否かが影響を及ぼす」と言う人も居るが、その点、「勉強」と「言語習得の為の訓練」は違う。これを同時に進めることも勿論出来るが、そうすると文学的素養は身に付くかもしれない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
その様な、「物理」の世界に生きている、知能というか物事の認知形態に障害を持ったヒトというのは居るらしい。この場合、勿論、問いの文章の解釈の問題に(は)帰着するだろうが、考えるところは考えろということである。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
2s
「リンゴ2個とミカン3個を足すと何個?」という問いに、「リンゴとミカンは足せません」という回答は、明らかに異常である。数の問題が論題に挙がっているのだから、リンゴとミカンを物理的に合成出来るか出来ないかはこの際問題として取り扱われない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
人類がこの四千年余にして培った歴史は、今のこの為なのかもしれない。「歴史から何を学ぶか」というテーマは、その様に重い。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
例えば、中国による(債務の罠)という事が云われているが、飲料水として泥水を啜らされている様な人々に経済発展を説いて何かあるか?ということはあるだろう。それとも、(少なくとも我々に関しては)、材料は既に与えてあるから、自ら(で)問題を解決してみせろ、ということなのか?
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
AIには、ヒトではない、デバイスであるからこその価値があった。しかし、ヒトの模造品にはその価値は無い。ともすれば、AGIにはじめから社会の運営を依託してしまえば良いであろう。そして、その結果、仮にヒトが絶滅することになろうとも、それは(そのことを選択した)ヒトの責任である。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
折角artificial intelligenceがそれとして存在しているのに、artificial general intelligenceなるものはその存在原理の根本意義的にその(AIの)特性を否決してしまっている。AGIは結局単なるスペックの高いヒトということであり本末転倒である。つまり、AGIによりAIの可能性は摘まれてしまっている。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1m
ビル・ゲイツ氏が、ネットは「世界を合理的にする」と思ったら「クレイジーな人間」が仲間を見つける手助けをした、とおっしゃっている。…ネット内外での「客層」を見てればだいたい分からないですかね?私もその一人かもしれませんが、ゲイツ氏の様にハイソな社会に生きている人だけではないですよ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
只、当該の病気の判定を医師に下される場合を除いて(特に精神の病気というのはそういうものであるということ)、やはり、幸福か不幸かというのは当人以外の者に決められることではないだろう。幸福の定義や不幸の定義というのは(所詮は)そういうものであるということ。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
25s
「他人と比べて不幸になっていく人(云々」という議題について。で、それどうやって比べるの?幸福か不幸かというのは、基本的には、当人の感慨の問題だろう。只、脳がダメージを受けて肉体全体が病んでいるのに、自分は幸福の極みだ、みたいに思っている状態のヒトというのは、病人かもしれない。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1s
眼科へ行ったら、患者として何かブツブツ独りでしゃべっている中年女性が居た。このヒトとは別件で少ししゃべったが、受け答えはまったく正常だった。演劇人でないとすると、ちょっとおかしなヒトかな?とは思うが。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
1m
一時間後に眼科へと出発予定。徒歩十五分程。そこの眼科医の女医さんはとても良い人。病状としては、視界の状況的に結構苦しいかもしれないとでもいった感じ。しかし、目薬で何とか耐え忍んでいる。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
13m
あそこのMicrosoft Startの運営、今回の事もそうだし、投稿後の改変をやらかしてきたり、ウザいんだよね。まあ、やらかしてるのは日本側のダダコネだ(ろう)けど。X(旧twitter)さんには大感謝です。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
29m
以上英訳。Microsoft Startのコミュニティーの方に載せておいたものを消されて(再投稿して)順番を変えられたので、こちらに載せておきました。ブログの方にも載せてありますけど、まあ、あっちはあっちで、ね。
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
32m
...This is the punishment that has been inflicted on us. There are "nature or mature" and "nature and mature", and that is the reason why Japan runs to the former.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
32m
...Surely people can not tell us the real answer (of the truth) there. There is much more than education that is convenient for the slave users, and in some cases, slaves are sent to war. They are made in the form most convenient to the user.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
32m
Incidentally, many Japanese do not seem to understand the meaning of "unconditional surrender." Some of them seem to think that Japan has lost the war and is now in a state of peace where there is no longer war.
杉浦真平
@ShinpeiSugiura
·
33m
For the character "A" in existence to be recognized by other beings, it is not a necessary and sufficient condition for "A" to be expressed by language in the meaning of a broad sense (of the word). Sufficiently, there is not "nature or mature" but "nature and mature".